日々是気付

自分の青春を犠牲にしてまでアイドルをする彼らに貢ぐ女の日記

ファンになったきっかけ

私には個性的という言葉だけじゃ収まりきれないほどの個性的な友達が三人います。

一人はアニオタ、声優オタ。最近では”学校の椅子をどのように座って欲しいか”というのを二十分くらい話していました。アニオタなのでA子ちゃんとします。

もう一人はアニオタ、声優オタ、ドルオタと来てジャニオタ(本人は否定してるけど絶対にそうに違いない)です。私の友達の中では一番話の合う友達です。沢山オタクしているのでO子とする。

最後の一人はHey!Say!JUMP!ファン。今年の冬からファンになりたての新規ファンです。私は嵐ファンですが、私の周りにジャニオタができたので新規ファンなどは気にしません(にわかもまあ大丈夫ですが知ったかぶりだけNG)。最近では一緒に暗殺教室を見に行きました。もちろん、私は殺センセー、この子は山田くん目当て。しかし伊野尾慧くんファンです。H子とします。

 

A子とO子と話しているとふと気になる事がありました。

『私はいつジャニオタになったんだろう』

嵐ファンになるまで色々好きになってきましたが、事の発端はなんだろうと。A子とO子はいつの間にからしく、H子はテレビで見てでした。

気になった私はここにまとめてみようと思いました。

 

保育園年中の頃。

タキツバの『Venus』が発売され、保育園でプチブーム。当時の先生がタキツバファンだったらしく見事に踊りを覚えさせられ、サビの部分は完コピしていました。

小学校一年生の時。

年中の頃からタキツバをテレビがテレビに映っていたら見るようになりました。ここから音楽が好きになり、毎週Mステを見ていました。恐らくここで嵐を知ったんだと思います。何を歌っていたか全く覚えてませんが、8年前なので恐らく『Love so sweet』だと思います。そして従姉の携帯の待ち受けが松潤で、「あ、眉毛太い人だ。」と認識していました。今となっては天使にしか見えませんけどね。

そして現在。

唐突すぎますが、一年生の時から今まで多分何も変わってない気がする。変わった事といえば、櫻井担から二宮担になったことぐらい。

 

母にこの話をすると「光GENJIのコンサート行った事あるんだよー」と話していました。

 

結論 「私のDNAにはジャニオタの血が流れていた」

ご紹介

はじめまして。ササハラという者です。

 

ジャニーズという沼に入って8年目になり嵐ファンやってます。基本DD、最近ではV6、Hey!Say!JUMP!、Kis-My-Ft2も好きになりかけてます。これ以上好きになると、やれDVDだ。と始まってしまう恐れがあるのでブレーキをかけているつもりです。

 

このブログには日頃のファンとしての気付などを書いていきたいと思ってます。不定期更新です。たまに一度に沢山更新する時もあります。このブログを通して、様々なファンの方と交流していけたら嬉しいです。

 

これから宜しくお願いします。